山形さくら町病院/かみのやま病院 広報誌
昭和33年山形県立東高等学校を卒業、同年東北大学医学部入学し昭和39年卒業。卒業後1年間を山形県立中央病院でインターンを行い、昭和40年医師免許取得。東北大学大学院医学研究科(外科学専攻)入学。昭和44年大学院終了し医学博士号取得。昭和50年山形市立病院済生館に赴任、平成13年済生館館長となり、平成17年定年退職。現在、医療法人二本松会上山病院に勤務。
私の父親が職業軍人であり中国戦線で戦死したために、母親の実家に身を寄せました。幼児期の写真には、身体虚弱なのか枕元には酸素吸入器が置かれている物ばかりです。医師の祖父と叔父に助けられ成長したのですが、小学校一年生の夏に全く眼が見えなくなり、やっと二年生に進級しましたが、殆ど字が読めなくて学校では問題児扱いされていた記憶があります。
三年生の担任佐竹好三先生の「ビルマの竪琴」などの名著の読み聞かせが効いたのか少しずつ学校に行く楽しみが増えて来ました。勉強の成績は悪かったのですが、スポーツが好きで好きで…でも、サッカーは団体競技なので全国大会には行けませんでした。歳をとりましてから、年齢ピックサッカー部門に10年連続山形代表で出場しましたが、上手なプレーだから、というよりは、人数が揃わないためだったのかと…。昭和37年インカレで明治大学サッカー部と対戦、東京・メキシコオリンピック代表の杉山進氏に振り回されて、悔しい思いもしました。後に年輪ピックで彼と話す場ができて昔話の花を咲かせ、今も交友を続けています。歳をとっても彼はうまい。
他の趣味は、スキー、鮎の友釣り、ゴルフなど。いずれも、上級者の範疇からは程遠いものがあります。乱読は趣味なのでしょうか、ブックスタートは体の弱かった小学校低学年からで、本があればおとなしい子どものようでした。
私は外科医師で、専門は免疫関係でしたので、腎臓移植を数多く経験してきました。大学を離れて地方病院へ赴任しますと、大学のように専門以外の疾病は診ないという事では日常の診療には通じませんので、消化器外科を中心に、乳がん、甲状腺がん、肺がん、胆石症など、色々な疾患の手術をしてまいりました。
現在は上山病院で、乳腺と甲状腺の病気への対応をしておりますが、上山病院の設備で十分に対応できることもありますし、手術の要否診断、術後継診なども可能となります。勿論、来院された患者さんには、乳がんや甲状腺がんなどの疾患のみならず、高血圧や痛風などの治療もしております。
病院という所は、地域に溶け込むことを大切に考えなければなりません。地域に溶け込めるような診療と治療を提供いたしたいものです。